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<研究1部報> 色研の製作による世界初の修正マンセル色票
        −『改良マンセル色票』(1957年刊)の公開展示−

COLOR No.167掲載

 来年、アルバート・H・マンセルの没後100年目を迎えます。その記念の年に先駆け、本年6月の日本色彩学会第48回全国大会では,「マンセル“色の三属性”:貴重書特別展示」と銘打ち、多くの関連した書籍やカラーチャートの展示が行われました。会場には、大会開催校の文化学園大学図書館所蔵のマンセル直筆サイン入りカラーチャートや初版本など,多くの貴重な書籍、資料が並びました。
 色研が出展したのは,弊所が世界に先駆けて作製した修正マンセル色票集の『改良マンセル色票』(1957年)と、世界中の研究者や機関に贈呈された色票集 “Munsell Renotation Color Book”(1963年)です。これらは限定製作であり、門外不出ともいえるものでした。他には、弊所の創立60周年を記念して製作された、世界で最も多くの塗装色票を収録したマンセル色票集『クロマコスモス6000』や、最新版の『JIS標準色票』などの展示も行いました。
 本稿では,そのうち世界初の修正マンセル色票集となった『改良マンセル色票』に焦点を当て、その概要をご紹介したいと思います。


アメリカ光学会によるマンセル表色系の修正検討
 
マンセルは、自身の表色系の表記法を示した“A Color Notation”を1905年に発表し、その色体系を色票で示した“Atlas of Color”を1915年に出版しました。これがマンセル最後の力作となり、彼の子息が編集などを引き継ぎ、アトラスを改訂、拡張した“Munsel Book of Color”が1929年に出版されました。これがマンセルブックの初版です。
 その後、アメリカ光学会(OSA)はその色票をサンプルとして、色の見え方や、色度との対応が規則的になるように、一層優れた表色系の構築を検討します。そこで、全ての色票を国際照明委員会が1931年に発表したCIE色度図にプロットし、視覚実験も行い、最終的にマンセル値に対応する色度が発表されました。こうして1943年に出来上がったのが修正マンセル表色系です。

色研による修正マンセル表色系の色票化
 ところが、1950年代になっても、修正マンセル体系に基づいて作られた色票集は世界のどこにもありませんでした。マンセル値があっても、それに対応する「色」を見ることはできなかったのです。そこで、日本色彩研究所は、1952年に修正マンセル色票の研究と試作を開始します。そして、色票製作の見込みがついた1954年に、OSAのジャッド氏(マンセル色彩財団の理事長でもありました)に修正マンセルの色票化の許諾を求め、同意のもと、色票の作成、色票集の製作は続けられました。
 そして、1957年に世界初の修正マンセル色票集の『改良マンセル色票』が産声を上げます。写真はそのための最終版に当たる第3回試作品です。内表紙には、第3回試作では色票の色をNBS2.0以内におさまるようにして、この段階で一般頒布を決心したと、川上元郎先生による直筆のコメントが書かれていました。日付は昭和32年(1957年)4月24日となっています。なお、改良マンセル色票のための色票作成や解説書の作製などは1956年のうちに行われています。
 一方、マンセル社によって最初の修正マンセル色票“Munsell Book of Color”光沢版が作られたのも1957年ということですから、改良マンセル色票とほぼ同時ゴールインだったといってもよいでしょう。発行月の詳細はまだ確認できていませんが。

 改良マンセル色票は、現在のJIS標準色票の原型ということができ、色相は2.5ステップ、明度は2〜9までの1ステップ、彩度は2ステップとなっています。また、試作品には、色票を明度ごとの色度図にプロットしたチャートが付いています。『改良マンセル色票』の頒布版が残っていないため、それが最終版に収録されていたかは不明ですが、円形の色票の中央に穴を開け、色度の位置を把握できる凝ったものになっています。
 なお、本色票集の作製には、様々な研究、検討を通して4年をかけて進められたことが、改良マンセル色票解説書に書かれています。例えば、使用する絵の具、調色方法、色ずれの判定法、測色と計算の迅速化などが検討されました。最初の頃は、1色を作成、チェックするために、調色15分、分光測色20分、XYZ計算25分、色ずれ判定表作成5分もかかり、色差基準に適った色は一日1色がやっとであったということです。その後、様々な工夫を経て、また日立製作所のご好意により自記分光光度計を借りることができ、最終的には1日で35色を作ることができる体制ができ、総数917色の色票が1956(昭和31)年3月に完成したとあります。

JIS採用と世界に贈られた豪華カラーチャート
 その後、修正マンセルシステムはJISに採用され、『JIS標準色票』の第1版が1959年に刊行されます。そうした経験も積み、高い精度で色票が作れるようになり、修正マンセル色票集作成の締めくくりとして、色研から世界に誇るべき完成度をもった“Munsell Renotaion Color Book”が1963年に作られました。これは明度別の色立体断面タイプのカラーチャートとなっており、世界中の色彩研究機関や研究者に贈呈されたのです。
 当時は、色彩が、産業、教育、生活の中に溢れ始めようとしていた時代でした。そして翌1964年に東京オリンピックが開催を迎えます。


修正マンセルによる標準色票の検討と刊行の流れ
 

  戦後間もない時分から、様々な検討、工夫を着実に進め、世界に先駆けた立派な色票集を作り上げられた、川上先生を中心とする我々の先輩方に敬意を払うと共に、バトンを受取った我々も新しい課題とその解決に向けて取り組まねばとの思いを強くした色票集でした。

〈名取 和幸〉

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