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都市の色が創る魅力 −街の基調色が醸し出す個性・雰囲気−

COLOR No.144掲載

街全体が単一、もしくはごく限られた色彩でまとまっていると、その街の景観は印象深くなり、好ましいイメージを与えることが多い。それはきっと全体としての秩序や、統一感が素直に感じ取れるからであろう。

写真「白い街 スペイン・カサレス」
「白い街」 スペイン・カサレス
写真「アースカラーの街 ウズベキスタン・ヒヴァ」
「アースカラーの街」 ウズベキスタン・ヒヴァ

抜けるような青い空と紺碧の海に挟まれ、明快なコントラストが美しい地中海沿岸の白一色の壁が輝く“白い街”。その逆のイメージで、荒涼たる砂漠の中に点在するオアシス都市。大地と色も質感も同化し、強烈な日照による陰影によってのみ建造物のシルエットが際だつ。シンボルとなる寺院の一部に施された人工的な青と緑のタイルが景観のアクセントとして、また水や植物といった生命を象徴するかのように美しく輝く“日干しレンガに覆われたアースカラー一色の街”などである。日本では、各地に残る伝統的な建造物群の連なる街並みがその代表的な事例になると思われる。

写真「飛騨高山」
飛騨高山

地域や民族、環境が大きく異なっても、それぞれの景観には個性的な色彩の魅力が溢れている。 長い年月を経て、その土地の気候風土と、そこで暮らす人々の知恵と工夫で築き上げられた色彩景観である。自然環境との調和の上に成り立っている合理性から、当然、生活者でない旅人にも好印象を与え、観光地としての個性や魅力が人々を引き付けるのであろう。
一方、人為的に彩色された都市がある。インド北西部、パキスタン国境付近のタール砂漠を中心とするラジャスターン地方は、古代シルクロードの交易により富を築いた特権階級・マハラージャの国という意味がその名になっている。そこには、ブルーシティ、ピンクシティ、ゴールデンシティなどと、色の名前で呼ばれる都市がある。ピンクシティもブルーシティも、それぞれマハラジャの命によって街中がピンクやブルーの色彩に塗られ、100年以上経た今日も継承されている。牛、山羊、犬、猿、リス、孔雀...、とにかく放し飼いの動物と人間が混在し、賑やかな環境なのに、町の基調色が統一されていると、サリーやターバンの鮮やかな色彩、商品、看板などの原色調の色彩で溢れているにもかかわらず、町全体のまとまりを感じる。基調となる都市景観の背景色が揃っていることによる効果であることは間違いない。ピンクシティと呼ばれるジャイプール(JAIPUR)の外壁色を調べてみると10RPから5YRまでの色相範囲で、系統色名で言えばピンクからダルオレンジまで変化に富んだ“ピンク”であった。
同じく、ブルーシティと呼ばれるジョドプール(JODHPUR)の外壁色は、5Bから5PBの色相範囲のブルー系のバリエイションであった。観光客が必ず行く城壁から街を見下ろす眺望は自然の、空でも、海や湖でもない建物の外壁に塗られた“人工的な青”が埋め尽くしている景観である。驚きの声を出してしまうほどの、ここでしか味わえない体験である。

写真「ブルーシティ」 ジョドプール遠望
「ブルーシティ」 ジョドプール遠望

市街に入り、間近に青い壁に取り囲まれてみると、彩度6から8程度あるスカイ系の色彩は、意外なほどに違和感がなかった。暑い土地だけに涼感を感じさせる効果を狙ったものだという解説を聞いたが、果たしてその効果があるかどうかは疑わしい。ピンクの壁がより暑苦しく感じさせているとも思えなかった。日頃生活している環境に比べ、極端に暑い地域に来れば、色彩の寒暖の心理効果など、物理的な温度差による生理的間隔にはあまり影響を与えないのかもしれない。
ゴールデンシティ(ジャイサルメール:JAISALMER)は砂岩で出来た要塞都市で、砂岩が黄色みを帯びていて、夕方、要塞都市が西日を受けると全体が黄金のように見えることから、そう呼ばれているもので、自然の素材色そのものである。ここでは、石工の巧みな技によるファサードの美しさが有名である。
また、扉の色が職業を表したり(緑:宝石商、青:僧侶)、進行する神の像を戸口に描いた壁画をよく見かける。ゴールドに見える砂岩の壁画色は10YR7/8を中心とした色彩であった。

アジア的な景観は、多色・多彩なことが特徴といわれる。シルクロードと呼ばれる都市のバザールに行くと、数十から百を超える民族が集まり、それぞれのアイデンティティを服装や化粧、装飾で表現している。当然そこは多色・多彩な世界で、その賑わいが交易の場に相応しいものとなっているようである。
インドの色の街は、英領時代の1883年、マハラジャが英国からの王子来訪にあたり、伝統的な歓待の意を表すピンク色を塗って迎えたことがきっかけであるといわれている。以来、今日まで塗り続けられ、街の代名詞にまでなっている。
多色・多彩が受け入れやすく、むしろ本当は好みかもしれない日本人が、これからの都市景観を考えるとき、マハラジャの強健による色彩統一のようなことはできないが、景観に対する意識を高め、合意形成を経て、基調色を整えることにより、賑わいを持ちつつ、落ち着いた基調色を背景として、都市景観全体の個性や秩序が表現できることを、インドの色の街は示唆しているように思えた。(企画準備室 松井英明)

*インドの環境色調査結果は、東北芸術工科大学東北文化研究センター「映像プロジェクト」(2004年3月10〜17日)によるものです。

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